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東京高等裁判所 昭和56年(う)85号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

第一弁護人の控訴趣意第三章及び被告人本人の控訴趣意中これと同旨の論旨について

論旨は、要するに、本件の現行犯逮捕及び押収捜索は適法要件を充たさない違法なものであつた点で憲法三三条、三五条などに違反しており、また、本件の捜査及び公訴提起は共産党及び民商に対する政治的弾圧を意図してなされた不公正なものであつた点で憲法一四条に違反しているので、本件公訴は公訴権を濫用したものとしてこれを棄却すべきであつたのに、原判決が弁護人の主張した公訴権濫用の法理について何ら判示をせず、かつ、現行犯逮捕等の手続に違法の点はなく、捜査、公訴提起にも不公正な点はないとして、本件公訴は公訴権を濫用したものとはいえないと判示したのは、理由不備、事実誤認、法令適用の誤り、採証法則違反にあたり、ひいては不法に公訴を受理した違法を犯したものである、というのである。

(一)  そこで、原審記録を調査し当審における事実取調べの結果をも参酌して、まず本件現行犯逮捕の適法性について検討すると、関係証拠によると、千葉県佐倉市佐倉警察署防犯課の巡査部長千本松隆次は、同署に日直勤務中の昭和五二年六月一二日午後三時ころ、同市鏑木町六一五番地に居住する皆川満恵から電話により「ただ今私の家に紙袋を持つた若い男が来て、共産党の春日正一、佐藤二郎の写真入りパンフレットを出し、共産党の者ですがこれを読んで下さいといつて帰りました。選挙の事前運動ではないかと思います。」という通報を受け、この種事件を担当する同署刑事課の巡査部長で同じく日直中の宇井政治に直ちに連絡をとつたこと、宇井は、刑事課の小倉修巡査を同行し、同日午後三時三〇分ころ皆川宅に赴いて同女から事情を聴取したところ、その男が留守の隣家を訪れた後自宅を訪れ、原判示のパンフレットとリーフレットを手渡したうえ、「共産党の者ですがこれを読んで下さい。よろしくお願いします。」といつたことが明らかとなつたこと、宇井らは、右リーフレットが法定外選挙文書にあたると判断されたため、同女からこれら文書の引渡しを受けるとともに、その男の人相などを聞き、直ちに覆面パトロールカーでその男の行方を追つたところ、同日午後三時四〇分ころ、同所から直線距離にして約二〇〇メートル離れた同市鏑木町一〇一〇番地所在の松浦肇方玄関で、それらしい人物と認められる被告人が文書を同家の人に手渡しながら「共産党の者ですがこれを読んで下さい。よろしくお願いします。」といっているのを目撃したので、右松浦方前道路上でこれを呼び止めて職務質問したところ、その所持する紙袋の中に皆川方で配付されたのと同じ文書が多数入っていることが判明したうえ、人相が皆川方で聴取したそれと一致していたので、戸別訪問、法定外文書頒布、事前運動による選挙違反の現行犯であると判断し、かつ、被告人が住所、氏名を明らかにしないため逮捕の必要性があると判断し、公職選挙法違反の現行犯であるから警察署まで同行する旨を告げて現行犯逮捕の意思で被告人を署まで同行しようとしたこと、その際被告人が自宅に立寄らせてほしいといつたため、宇井らは、兇悪犯人ではないし、身許の確認にも役立つと考えてこれを許し、同人が歩行する側を宇井が添い、その直後を皆川がパトロールカーを運転して追尾したところ、被告人がその言葉と違つて共産党佐倉市委員会事務所に立寄つたこと、宇井らは、そのすぐ後被告人をパトロールカーに乗せて同日午後四時過ぎころ佐倉警察署に連行し、前記千本松巡査部長に身柄を引き継いだこと、日直中の同署刑事課の警部補平野武雄は、本事件の捜査を担当するようにとの課長の命により、同日午後五時一五分ころから午後八時五〇分ころまでの間、取調室において被告人を取調べたが、被告人が完全黙秘をし、弁解録取書などへの署名をも拒否したため、被告人の身柄の拘束を続けることと決したこと、本事件については前記松浦方前道路上で被告人を前記各罪で現行犯逮捕した旨の現行犯逮捕手続書が作成されていることが認められる。

以上の事実関係に徴すると、宇井、小倉の両警察官が前記松浦方前道路上で被告人に対し警察署まで同行するよう告げた時点において、被告人を現行犯逮捕することのできる状況が存在したことは、明らかである。また、右の両警察官がその時点において被告人を現行犯逮捕する意思で同人に対し警察署まで同行するよう告げたことも、疑いがない。そして、右の両警察官が右のような状況で被告人を伴い警察署までこれを連行したことは、被告人の身体に対する直接の拘束がなされなかつたとしても、逮捕の権限に基づき被告人の自由な行動を規制したことにほかならないから、それだけで逮捕における身体の拘束にあたるといつてさしつかえがない。そうしてみると、被告人に対する現行犯逮捕は、前記松浦方前道路上において適法に行われたということができるのであつて、その手続に所論のような違法な点は認められない。もつとも、原判決は、右の場所では両警察官は被告人に単なる任意同行を求めたにとどまり、同日午後八時五〇分ころに至り初めて逮捕にあたる身柄の拘束を開始したものであり、ただ検察官に対する送致時間の制限との関係では被告人をパトロールカーに乗車させ実質的にその身体を拘束した時点において逮捕が始つたものと解すべきである旨判示し、所論も、この判示を前提として本件逮捕の違法性を縷々強調するのであるが、逮捕にあたる身体の拘束が開始されたか否かは、手錠を施すなどの身体に対する直接の拘束が開始されたか否かによつて決すべきものではなく、被疑者がその意思で逮捕警察官からの拘束を離れ自由に振舞うことができない状況に置かれたか否かによつて決すべきものである。そして、本件の場合、現行犯逮捕の要件が整つているばかりか、被告人の氏名、住居も犯罪事実の全貌も未だ明らかではなく、身柄を確保して捜査を進める必要性のあることが明らかな状況の下で、前記松浦方前道路上から前記両警察官が被告人を警察署に向けて連行し始めた以上、被告人が警察官の拘束を離れて自由な行動に出ることは被告人自身の意思からみても両警察官の意図からみてももはや不可能になつたものと認めるべきであり、その意味においてその時点ですでに現行犯逮捕が開始されたと解するのが相当である。したがつて、右の原判示部分には誤りがあるというほかはないが、その誤りはもとより原判決に影響を及ぼすものではない。

(二)  次に、所論は、本件押収捜索手続に違法、違憲な点があるというが、この点については具体的な根拠を欠き、また、本件起訴が不公正であつたとして違法、違憲をいう点も、これを認めるに足りる証拠は存しない。さらに、弁護人の公訴権濫用の主張に対し原判決が具体的な判示をしなかつたとして理由不備をいう点も、必要な判断事項にあたらない主張であつたばかりか、原判決が右主張の前提とされた捜査、公訴に違法が存しないと判示した以上右の点につき進んで判示をする必要がなかつたわけであるから、この主張もまた排斥を免れない。

(三) そうしてみると、第一の論旨はすべて理由がないことに帰する。

第二弁護人の控訴趣意第二章及び被告人本人の控訴趣意中これと同旨の論旨について

論旨は、要するに、(1)公職選挙法一三八条一項の戸別訪問罪にいう選挙に関し投票を得させる目的とは、単に内心において特定候補者の当選のための有利な効果や相手の投票を期待することをいうのではなく、積極的に投票依頼をする意欲を持つことをいうと解すべきであり、かつ、原審において弁護人がその旨を主張したのに、原判決がこの点について直接判示をせず、かつ、本件行為を戸別訪問罪にあたるとしたのは、理由不備又は法令適用の誤りにあたる、(2)公職選挙法一四二条一項の文書頒布罪にいう選挙運動のために使用する文書とは、文書の外形内容自体からみて選挙人に対する具体的投票依頼又はこれに直接つながる投票とりまとめのため使用されることが明らかな文書をいい、投票依頼又は投票とりまとめ依頼の文字が明示されていない文書はこれにあたらないと解すべきであり、かつ、原審において弁護人がその旨を主張したのに、原判決が、文書の外形内容自体からみて特定の候補者に投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為に使用されると認められる文書をいうと判示し、それ以上に右主張に対する判断を示さず、かつ、本件行為を文書頒布罪にあたるとしたのは、理由不備、法令適用の誤り、又は事実誤認にあたる、(3)公職選挙法一二九条の事前運動罪にいう選挙運動とは、直接かつ具体的な投票依頼行為又は投票のとりまとめ行為をいうと解すべきであり、かつ、原審において弁護人がその旨を主張したのに、原判決が、特定の候補者に投票を得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為をいうと判示し、それ以上に右主張に対する判断を示さず、かつ、本件行為を事前運動罪にあたるとしたのは、理由不備、法令適用の誤り、又は事実誤認にあたる、(4)被告人の本件行為は、千葉県佐倉市鏑木町及び城内町の二〇〇余の世帯に対し日本共産党の政策を宣伝する目的で行つた政策宣伝活動であつて、投票を依頼する目的で行つた選挙活動ではないから、戸別訪問罪、文書頒布罪、事前運動罪はいずれも成立する余地がないのに、原判決がこれらの罪の成立を認めたのは、事実誤認、法令適用の誤りにあたる、というのである。

(一)  そこで、原審記録を調査し当審における事実取調べの結果をも参酌して、まず前記(1)の論旨について検討すると、公職選挙法一三八条一項が選挙に関し投票を得させる目的をもつて戸別訪問をすることを禁止しているのは、戸別訪問の形態によつて特定の候補者のための選挙運動を行うことを禁止する趣旨であるから、右の目的には、特定の候補者のために投票を得させるための投票勧誘行為をする目的のほか、投票を得させるために直接、間接に必要、有利なことをする目的を含むと解すべきであつて、所論のようにこれを限定的に解すべき根拠は見当らない。そして、関係証拠によると、被告人は、原判示の参議院議員選挙の公示五日前である昭和五二年六月一二日の午後二時三〇分ころから約一時間にわたり、原判示別表記載の二一戸を戸別訪問し、そのうち一二戸においては、参議院議員全国区の春日正一と千葉地方区の佐藤二郎の各氏名、顔写真、経歴、春日正一の政見などを記載したほか、山本政雄名義による参議院議員選挙で右両名の勝利をかちとりたい旨の推せん文の入つた本件リーフレットを家人に手渡すとともに、「共産党の者ですがこれを読んで下さい。後で感想を聞きに来ます。よろしくお願いします。」などといい、他の一〇戸においては、「春日正一のがんばり50年ドンとこい」と題し、春日正一の顔写真、経歴、政見などが記載されている本件パンフレットを家人に対して手渡すとともに、前同様の言葉を申し述べたものであり、しかも、被告人は、右両名と同じ共産党員であつて、同年七月一〇日施行の参議院議員選挙において右両名が立候補することを知り、その当選を願つていた者であることを併せ考えると、右の戸別訪問の際被告人が右両名に当選を得させるための投票勧誘の目的を抱いていたことが明らかであり、被訪問者の側でも容易にその意図を察知することのできる状況であつたことが認められるのである。そうしてみると、右と同旨の見解を示したうえ前記目的の存在を肯定した原判決は正当であつて、そこには何ら所論のような違法は存しないというべきである。

(二)  次に、前記(2)論旨について検討すると、公職選挙法一四二条一項にいう選挙運動のために使用する文書とは、法定外のものの頒布がそれだけで禁止されている点からみると、文書の外形内容自体からみて頒布により選挙運動としての効果を挙げうるようなもの、すなわち文書の外形内容自体からみて、特定の選挙において特定の候補者に投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為に使用されると認められる文書であることを要するものと解すべきであるが、所論のようにそれ以上に文書中に投票依頼又は投票とりまとめ依頼の文字が明示されていることを要すると解すべき根拠は見当らない。そして、本件リーフレットの一面の半分には、全国区参議院議員春日正一という表示とその顔写真、抱負、意見などが印刷されており、残りの半分には、千葉県地方区の文字とともに佐藤二郎という氏名が表示され、その顔写真と略歴のほか、参議院議員の千葉県地方区で奪闘中の佐藤二郎の勝利を全国区の春日正一の勝利とともにかちとりたい旨の「政策通、闘魂の人」と題する山本政雄名義の推せん文が掲載されており、他の一面には、春日正一の経歴と国会での活動歴が四枚の写真とともに掲載されているのであるから、このリーフレットは、約一か月後に迫つた参議院議員選挙において、全国区では春日正一、千葉地方区では佐藤二郎に投票されたい旨の投票依頼の文書であることが一見明瞭であつて、前記の選挙運動のために使用する文書に該当することが明らかであり、これと同旨の原判示には所論のような廉は存しない。

(三)  〈省略〉

(四)  最後に、前記(4)の論旨を検討すると、すでに判示したとおり、原判示の被告人の行為が戸別訪問罪、文書頒布罪、事前運動罪の各要件に該当する以上、同時に共産党の政策宣伝活動の目的で行われたとしても、それが右各犯罪の成立を否定すべき理由となるものではない。

(五) そうしてみると、第二の論旨もすべて排斥を免れない。

第三弁護人の控訴趣意第四章の一ないし七について

論旨は、要するに、(1)戸別訪問罪、法定外文書頒布罪、事前運動罪を定めた公職選挙法一三八条一項・二三九条三号、一四二条一項・二四三条、一二九条・二三九条の各規定は、いずれも憲法二一条、三一条に違反し、戸別訪問罪、法定外文書頒布罪の各規定は憲法一四条、四四条但書にも違反するのに、原判決が本件において右の各罪の成立を認めたのは、法令適用の誤りにあたる、(2)原審が右各罪の規定の違憲性について十分に証拠調を行わず、十分な法律上、事実上の判断を示し得なかつた点において、理由不備、審理不尽、事実誤認がある、というのである。

(一)  そこで、前記(1)の論旨のうち戸別訪問罪と憲法二一条との関係についてまず検討すると、この罪を定めた公職選挙法一三八条一項、二三九条三号の規定が憲法二一条に違反するものでないことは、最高裁判所の確定した判例(昭和四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁、昭和五六年六月一五日第二小法廷判決・刑集三五巻四号二〇五頁、同年七月二一日第三小法廷判決・刑集三五巻五号五六八頁、昭和五五年(あ)第一五六五号同五六年一〇月九日第一小法廷判決など)とするところであり、当裁判所もこれに従うものであるが(なお、東京高等裁判所昭和五五年七月二九日判決・高裁刑集三三巻三号二七〇頁参照)、合憲とする理由についてはなお見解に分れがある状況であり、所論もこの事実を手がかりとして違憲の主張を展開しているので、以下、当裁判所が合憲と解する理由について判示しておくことにしたい。

国会は、憲法の制約の範囲内において、公職の選挙に関し、実施の方法その他の事項を定める権限を有しており(憲法四七条参照)、これに基づき、現に公職選挙法において、選挙についての各種の事項を定めるとともに、選挙の公正を確保する見地から選挙運動についても種々の規制を行つている。選挙運動についてのこれらの規制の中には、買収、利害誘導の処罰のように、選挙運動として尊重すべき価値をもたず専ら選挙の公正を損うおそれのある行為を対象とし、選挙に対してもたらす直接の弊害を除去するという消極的、警察的見地から行つている規制のほか、選挙運動の期間、方法の規制のように、選挙運動として尊重すべき価値を内包してはいるが、他方において選挙の公正を損う弊害を伴うことが予想される行為を対象とし、その行為を規制する方が全体としての選挙の公正を確保するうえで望ましいとの判断に基づき、積極的、政策的見地に立つて規制を行つているものがある。そして、後者の規制の場合には、すべての候補者等に平等に適用される選挙のルールとしての性格を帯び、かつ、これにより、国会が正当な権限に基づき保護しようとしている選挙の公正維持という利益が実現されるのであるから、その反面において、規制される行為に内包されている憲法二一条その他の価値の何ほどかが失われることになつても、直ちに違憲となるものではなく、失われる憲法上の価値が国会の規制権限を否定すべきほどに重大なものであるとき、つまりはその価値が規制により維持、実現しようとする利益を上まわるときに初めてこれが違憲となるものと解するのが相当である。さらに、規制の対象となる行為が憲法二一条の保障する表現の自由の価値を内包している場合には、規制により失われる憲法上の価値は、規制の目標がその行為により表明しようとする意見の内容を制約することに置かれているのか、単にその行為に付随する弊害を防止することに置かれているのかによつて大きな違いが生じ、また、規制によつて失われる意見表明の機会、自由の範囲、程度によつても大きな違いが生じるから、規制により失われることとなる価値を評価するにあたつては、特にこれらの点に留意するのが相当である。また、規制により維持、実現される価値は、規制の目的つまりは規制により維持、実現しようとする利益の性質、程度のほか、この目的と規制する対象行為との関連性の程度によつても違いが生じるのであるから、維持、実現される価値を評価するにあたつては、特にこれらの点に注目する必要がある。

右の観点から、戸別訪問禁止の合憲性について考察を進めると、戸別訪問が国民による直接の政治参加の場である選挙において政治的意見を表明し伝達するための有効な手段であることは多言を要しないから、これを禁止することが憲法二一条の保障する表現の自由に対する重大な制約となることは明白である。また、戸別訪問は、欧米の議会制民主主義の国においては禁止されていないばかりか、候補者、選挙運動者、選挙人が直接に接し合い、政策を伝え、支援を訴え、候補者の人物識見を知ることができる点で有効適切な選挙運動の方法であると解されていることに示されているとおり、選挙運動として色々の利点を有していることもまた否定することができない。しかしながら、他面において、戸別訪問は買収、利害誘導等の温床になり易く、これを許容すると、それらの違法行為のなされる機会が増えることとなるばかりか、戸別訪問を放任するときは、候補者間に戸別訪問の競争を激化させて多額の出費を余儀なくさせ、投票を情実に支配され易いものとし、さらには、選挙人の生活の平穏を害するという弊害の生じることも、見易い道理である。そして、戸別訪問の禁止は、これらの弊害を防止し、選挙の公正を確保しようとするものであるから、その規制目標は、明らかに、戸別訪問により表明しようとする意見の内容には向けられておらず、単にその行為に伴う付随的な弊害の防止に向けられており、したがつて、この規制が表現の自由に対して及ぼす制約は、戸別訪問という手段方法によつて意見表明をする自由を奪い、それだけ表現の機会を狭めることになるというにとどまるのである。また、例えば街頭演説、立会演説、個々面接、電話による依頼、一定範囲の文書頒布、ラジオ、テレビの政見放送など他の手段方法による選挙運動は広く許されているのであり、かつ、程度の差はあるにせよ、これら他の手段方法により戸別訪問を通じると同様の意見表明を行うことは可能であると認められる。他面、戸別訪問の禁止により維持、実現しようとする目的は、前記のとおりの各種の弊害を防止して選挙の公正をより確実なものとすることにあり、かつ、この目的と戸別訪問の禁止との問には十分な合理的関連性があるということができる。そうしてみると、戸別訪問を禁止することにより一層確実に選挙の公正が維持、実現されるとみた国会の判断は、十分に合理的なものであり、それ故にこそ大正一四年以降ごく短期間を除き今日までこれが維持されてきたと考えられるのであつて、得られる利益と失われる利益との考量において均衡を失し本末を顛倒した不合理な判断であるとはとうてい断ずることができない。

所論は、戸別訪問に伴うとされる前記の諸弊害は、発生の可能性が低い抽象的、観念的な危険にとどまり、表現の自由を制約するに足りるものではないと主張するが、戸別訪問の禁止は、戸別訪問を選挙の公正を損うおそれのある無価値な行為とみて、専ら消極的、警察的見地からなしたものではなく、いかなる手段方法により選挙を実施することが全体としての選挙の公正を確保する所以であるかという積極的、政策的見地に立ち、利益考量の結果政策として採られた措置と解すべきであるから、所論を前提としても頂ちにこれが違憲となるものではない。所論は、また、右のような諸弊害が生じることを検察官は立証しておらず、これを認めるに足りる証拠は皆無であると主張するが、立法の基礎となるこの種の事実は必ずしも刑訴法に定める厳格な立証手続によつて証明される必要がないばかりか、戸別訪問が許容されると買収、利害誘導等の違法行為を行う機会が増えることは具体的な証拠によるまでもなく自明の事柄であり、その余の前記の諸弊害が生じることも、同様に常識上十分に推認することができるのであるから、右の所論も採用することができない。

以上の次第であるから、戸別訪問の禁止は、憲法二一条との関係において国会の立法裁量を逸脱した違憲の規制ということはできず、したがつてまた、戸別訪問罪は、すべての候補者、選挙運動者等に対し公平に適用される選挙のルールに違反する行為を処罰している点で合理性を有し、合憲なものというべきである。

(二)  次に、法定外文書頒布罪と憲法二一条との関係について検討すると、法定外文書の頒布の禁止は、前記の戸別訪問の禁止と同じく、全体としての選挙の公正を確保するためにはそうすることが望ましいとの判断に基づいた積極的、政策的な規制であり、選挙のルールと解されるところ、その目的は、文書の頒布を無制限に認めるときは、激烈な文書頒布の競争を招いて莫大な費用と労力の使用を余儀なくさせ、その結果候補者の経済力という要因が選挙の結果に対し過大な影響を及ぼして公正な選挙に支障を生ずるおそれがあるため、これを法定の範囲内に限定しようとするものであり、その目的と規制対象行為との間には明らかに合理的関連性がある。他面、その禁止は、文書中の意見の内容から生じる弊害の除去を目標としておらず、文書頒布を自由にすることに付随する弊害の防止を目標としている点で、表現の自由に対する規制の効果は関接的なものにとどまるばかりか、前記のとおり他の各種の手段方法による選挙運動が許容されており、これにより文書頒布の制限により失われる意見表明の機会は相当程度に償われるものと認められる。そうしてみると、その禁止は、これにより得られる利益と失われる利益との考量において均衡を失した本末顛倒の規制であるということはとうていできず、また、その処罰規定にも不合理なところは認められない。したがつて、右規定を合憲とする確定した最高裁判所の判例(昭和三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号八一九頁、昭和四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁など)に従うのが相当である。〈以下、省略〉

(千葉和郎 香城敏磨 植村立郎)

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